(執筆者:弁護士 荻野伸一)
【Q.】
居住用住宅のいわゆる「敷引特約」について、近時、最高裁が有効性を認める判断をしたと聞きました。そもそも、敷引特約の有効性が問題となるのはなぜなのでしょうか? また、最高裁はどのような理由でこの有効性を認めたのでしょうか?
【A.】
敷引特約とは、賃貸借契約が終了し賃借人が賃借物件を明け渡した際に賃貸人が返還するべき敷金から、一定額を控除する旨の特約のことをいいます。敷引特約は、賃貸借契約上、本来賃貸人が負担するはずの通常損耗(賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生じる賃借物件の劣化または価値の減少)を、賃借人に負担させることとなる点で、賃借人を不当に害するのではないかという問題が指摘されてきました。そのようななか、最高裁平成23年3月24日判決(以下、「本判決」)は、賃料月額9万6000円・保証金40万円・敷引金21万円(契約から明け渡しまでの経過年数1年以上2年未満に相当する金額)と定められた事案について、敷引特約の有効性を肯定しました。
そもそも、賃借人に通常損耗についての原状回復義務を負わせることは、賃借人に予期しない特別の負担を課すことになります。そこで、賃借人にそのような義務が認められるためには、�@賃貸人がその旨を契約書に具体的に明記するか口頭で説明して、�A賃借人がその旨を明確に認識しそれを合意の内容とする等、その旨の特約が明確に合意されていることが必要だとされています(最高裁平成17年12月16日判決)。
また、明確に合意された特約が存在するとしても、平成13年4月1日以降に事業者・消費者(個人)間で締結された賃貸借契約には消費者契約法の適用があるため、そのような特約が、民法等の定める任意規定の適用による場合に比べて「消費者の義務を加重する消費者契約の条項」であって、信義則に「反して消費者の利益を一方的に害するもの」(消費者契約法10条)として無効となるのではないかが問題となります。
本判決は、敷引特約は原則として「通常損耗等の補修費用を賃借人に負担させる趣旨を含むもの」であり、任意規定の適用による場合に比べて「消費者である賃借人の義務を加重するもの」だとしつつも、
�@敷引特約がある場合の賃料額は、通常損耗等の補修費用を含まないものとして合意されているとみられること
�A補修費用の額を一定額とすることは不合理とはいえないこと
から、「敷引特約が信義則に反して賃借人の利益を一方的に害するものであると直ちにいうことはできない」としました。
もっとも、本判決が敷引特約の有効性を全面的に肯定したわけではなく、賃貸借契約における賃貸人・賃借人間の情報や交渉力の格差に鑑み、「敷引金の額が敷引特約の趣旨からみて高額に過ぎる場合」には、敷引特約が原則として無効となるとしています。
以上のような判例から、賃貸人の立場にあるときには、賃貸借契約の締結にあたって敷引特約を付する際、敷引特約の趣旨をきちんと説明することが不可欠であるといえます。また、敷引金の額が、通常損耗等の補修費用として通常想定される額や賃料額、礼金等他の一時金の授受の有無及び額等に照らして高額に過ぎる場合には無効とされる可能性があることにも、注意が必要です。
なお、やや古いものですが、国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」(http://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/torikumi/genzyokaifuku.htm)や、東京都の賃貸住宅紛争防止条例及び「賃貸住宅トラブル防止ガイドライン」(http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/juutaku_seisaku/tintai/310-4-jyuutaku.htm)も、実務の参考になると思われます。